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日記

今日はとても酷い事件が起きた。京都アニメーションの会社に男が侵入してガソリンをまいて放火する事件が起きた。私はそれを昼間、誰も来ていない教室でおにぎりをムシャムシャ食べながら知った。誰も死なないでくれと思ったがそうはならなかった。これからもまだ死者は増えるかも知らない。私はとても傷ついた。

私は特に、京都アニメーションのファンというわけではない。お金を払った事も多分ない。だからこの事件で傷ついたと言っていいのかすら分からない。どんな人間が亡くなったのかも知らない。アニメーターかもしれないし、一般的な従業員かもしれない。私はただ、被害を受けたのが物を作る人間だったという点においてのみ深く傷ついている。傷ついたと書き残すことが許されるのかも分からない。何も分からず、しかし許せず、憤慨しているし、悲しい。

けれど私は祈りたいと思った。物を作り続けることで祈ろうと思った。どんなに凶悪な悪意をもった人間が、作る人を害しようとしたとしても、絶対にその目的は叶えられないと暗に示したいのかもしれない。こんなことでは私たちは損なえないと証明したいのかもしれない。お金も払わず、ファンであるわけでもない。けれどこの事件によってもたらされた憤慨も悲しみも苦痛も絶望も言葉にすることはできない。言葉にしてはいけないという圧迫感だけがある。なぜなら私は無関係だからだ。

せめて、同じ作る人であったという理由だけで祈ることを許してほしい。京都アニメーションのアニメーターと私を同列にする事がそもそもおこがましいかもしれないが、私は祈りを積み重ねていきたい。静かに。

これは大々的に発表できない今日の傷についての記録である。悼もうにも悼めない、事件や故人とは無関係な人間の記録である。